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わっしょい米子祭り代表/ドラマー横田誓哉がホスト役として、第3回スペシャルゲストのテノール/オペラ歌手の山本耕平迎え入れ、対談を行った。
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映像でもお楽しみいただけます。
わっしょい米子祭りのテーマ
音楽をもっと身近に
横田誓哉:第3回わっしょい米子祭りスペシャルゲストの山本耕平さんです。
今回はご出演ありがとうございます。ご出演いただけるとは思っていなかったので、ひょんなきっかけで…こんなひょんなきっかけでいいのかっていうくらい…僕は本当にずっと山本耕平さんのことを尊敬していて。わっしょい米子祭りに出演していただくというのは、わっしょい米子祭りにとっての目標みたいなものだと思っていたので、すごく嬉しいです。
山本耕平:ありがとうございます。
横田誓哉:わっしょい米子祭りは、米子市音楽団体を元気にするというのがテーマにあります。耕平さんは米子市でよくコンサートを行っていると思うのですが、故郷のコンサートには特別な思いがあったりするんですかね。
山本耕平:なんか定期報告みたいな気持ちもあるね。要は、自分が本当に小さな成長を積み重ねていって、頑張っているよっていうのを見てもらうっていう気持ちはある。一緒に経過を楽しんでもらうみたいなところもあるんだけど。でも何か大きな大義を感じてやったことはないっていうか。
要は、故郷だから定期的に帰って演奏したいというのは、自然な気持ちとしてあったんだよね。だけど大体それは、自分が歌いたいとか、こんなに頑張っているのを見てもらいたい、走り出した頃から見てもらった人たちに今を見てもらいたいとか、そういう全部”自分”って感じだったんだけど、それは自分が演奏することに一生懸命で余裕がなかったからなんだよね。
でも本当は、地域全体が元気になるような活動をすごくしたいという思いはあって、繋がっていったらいいなって思っている。だけど、オペラの活動ってどんどん人間離れしていくんだよね(笑)
横田誓哉:はい(笑)
山本耕平:凄まじい伝統芸能や磨き上げたやつを見せるという。これってどんどん身近ではなくなっていくんだよね。自分たちとは関係ない音楽で成り立っていくというジレンマはあって。
もともと皆で作り上げていく音楽が好きだったのに、ソリストとして、ほぼ皆が築き上げてきた土台の中に最後に入っていってやるということが増えてきて、こつこつ皆で作り上げていくというのも無くなってくるし。だからわっしょいの活動はすごくいいなって、前に別の山陰ペディアのインタビューでも言っていたんですよね。
横田誓哉:身近に感じてもらいたいっていうテーマがあって、それに対して耕平さん自体だったり、クラシックやオペラというものは、逆に身近に感じさせてはいけないんじゃないかと思う部分もあります。
山本耕平:なるほど。
横田誓哉:同じ音楽のジャンルでも、僕たちBBBBがやっているニューオーリンズジャズっていうのは身近な部分があって。例えばTシャツに短パンで演奏することもありますし、クラッシックとは全く別ものだと思うんですよ。悪い意味では全くなく、良い意味で文化として何かそういうものがあると思っていて。
だから身近に感じさせると言いつつも、今までとは身近の定義を変えなければいけないなと思っているんですけれども。そういう意味では今回大丈夫だったかな、と思う部分もあります。
山本耕平:(笑)その感覚っていうのは分かります。クラシックの中にも色々な人がいて、ジーパンでクラシックの演奏会に来てほしいと言って活動する人もいるし。
僕は普段どちらかというと、せっかくだからクラシックのコンサートはジャケットを着ていったらどう、と言うタイプなんだけど。敷居は上げていった方が、特別感が出て楽しいんじゃないの、と。そして、別のところで敷居を下げる。例えば有名な曲は必ず入れるとか、別のアピールポイントを作るとか。今じゃもうできないけど、ホワイエでお酒を飲むとか、何かとコラボをするとかっていうのが僕にとっての身近でした。
だから、今回ある意味BBの楽しい音楽を聴きたい、学生さんたちが頑張っているところを見たいと言う人が、初めて僕の歌を聞いてくださるのであれば、それはそれで一つ身近にする方法だと思うし。
今回そのラインはお互い何となく死守してる感じがあるよね。ここからは絶対お互いのポジションを守ったままコラボをかっこよくしようというか。
横田誓哉:そうですね。僕も好きでクラシックを聞いたりするので、詳しくはないですけど、そういった意味では失礼がないように、ということは考えていました。
山本耕平:こちらの方こそ。
"丁度いい部分"を見せる
横田誓哉:そういった丁度いい部分をわっしょいで見せたいです。普段の耕平さんのコンサートと違って、普通に未就学児童もいたりするので、そういった環境の中でもクラシックを聞ける機会になると思います。
これを機に、耕平さんのコンサートに行ってみたいと思う方がいて、耕平さんのお客さんが僕たちの演奏を聴いて、こういう音楽も聴いてみたいなと思ってくださったら、幸いです。
山本耕平:分かる。音楽に知り合うきっかけとか何かを知るきっかけって、結構ひょんなことだったりするじゃないですか。ここに行ってみたらたまたまあって、あ、これが好きだったってことに自分で後から気づくことってすごくあると思っていて。僕も最初はオペラなんて全然好きじゃなかった。
だけど吹奏楽をやっていて、楽器をやっていたら出会って、ハマったっていう順番だからね。その吹奏楽に出会っているのも、身近にやっている人がいたというのもあるけど、僕はゲーム音楽が好きだったから、それをピアノで弾くうちに、クラシックっていいな、ドビュッシーいいなって思うようになって、音楽やりたいってなったんだよね。
だからちょっとずつずらしていくことってすごく大事なことだと思うから、大丈夫。そんな失礼だなんて(笑)よろしくおねがいします本当。
少しずつ変わってゆく環境
続いたのが音楽だった
横田誓哉:先ほどお話があったのですが、耕平さんはてっきり音楽一家で、小さい頃からピアノをやられて、吹奏楽に入ることは決まっていて、とんとん拍子っていうイメージがあったんですが、そういう訳ではないんですかね。どういったきっかけで?
山本耕平:もちろん強い影響はある。身内に吹奏楽部出身もいるし、音楽の教員もいるし、自分にとっては身近にあったから全然違和感もないし、もちろんそういうレールはあったと思う。業界でもそういう環境から出てきた仲間も多いし。それはあるけど、自分で選んできたと思うんだけどね。
横田誓哉:それはずっと好きで音楽をやられていたっていう感じですかね。
山本耕平:続いたのが音楽だったって感じかな。あとのことは好きでやったりもしたけど。例えば陸上部をやっていた時期もあるし。そんな時期もあるけど、続いたのが音楽だったって感じ。他にある?
横田誓哉:僕はずっと音楽を習っていたっていうよりは趣味でやっていたことが続いていて。なんか吹奏楽部に入る空気みたいなのもあって。そこでは違う楽器に挑戦してみたいとかもあったんですけど、顧問の先生が僕の小学校の頃からのバンド活動を知っていたこともあり、僕のためにポップスの曲とかをやってくださったおかげで続けることができて。高校ではクラシックでもあるんですが、吹奏楽を突き詰める楽しみを教えてもらって、ってことで。
山本耕平:うんうん。
高校時代一瞬耕平さんの姿を見て、僕はネガティブな人間なので…
山本耕平:また出た(笑)
横田誓哉:米子でドラムをたたいていて、もちろん米子では一定の評価をもらっていたんですよ。でも僕自身はそういう思いは全くなくて、プロミュージシャンになれるとか全く思っていなくて。
だから教員になりたいと思いながら上京して。1年、2年音楽の世界を知ってからって思っていたのがずっと音楽の世界にいてっていう、少しずつ変わっていって今の状況にいるというか。
山本耕平:本当にそうだよね。そんな感じだよね。
横田誓哉:耕平さんも大学はクラリネット専攻で入られて、そこから声楽に変わられてっていうのは、すごいなと僕は思っていたんですけど。
山本耕平:あれもね、変わらないのよ。音楽を広く勉強していく時の自分の一番のツールが何かだけであって、絶対僕たちも声楽に触れなければいけないし、指揮も勉強しなくちゃいけない、作曲法だって和声だって勉強するし、その他のことだって勉強するわけで。僕なんてね、藝大にいる間は和楽器のレッスンを7つくらい受けていたしね。
横田誓哉:すごい(笑)
山本耕平:だっていつか扱うことになるかもしれないから。マーチングの指導員の資格も取りに行っていたし、そのうちの一つだったから。クラリネットが声楽に変わったのは全然問題なかった。
藝大に入って僕はクラリネットを副科でレッスンを受けていたから、木管五重奏をやったりオケに入って演奏したりしていました。僕はオペラにオケでも出ているんだけど。そういうのが僕の多角的な勉強のツールだっただけだから、関係なかったんだよね。だけど、そうやっているうちに、声楽ってすごい面白いなってなっちゃったんだ。うっかりなっちゃった。
だって西洋のものだし、皆大きい人ばかりで僕は小柄だし、アジア人の見た目だし。楽器やっていれば男女の別だって無かったんだよ。
横田誓哉:あぁ。確かに。
山本耕平:それが全部自分のフィジカルとか色んなことが関わってくるようになると、芝居の要素が入ってるのがすごい面白いなって思って。僕は音楽+芝居がかけ合わさった世界に入ったのが、音楽が続いたきっかけ。もしかしたらクラリネットだけだったら、もうスケール(音階練習)ずっとやっているのしんどいとか言ってやめてたかもしれない(笑)
自分の身体が楽器
横田誓哉:(笑)耕平さんはクラリネットも、なんというか言葉が難しいんですけど、めちゃくちゃ素晴らしくて。僕は高校時代に共演させてもらったこともあって、声楽もクラリネットもどっちでも良かった、という言い方は変かもしれないですけど、どっちでも素晴らしかったっていうのはすごいなと思っていて。しかも声楽を楽器から選ばれたという。
僕は打楽器で、管楽器とはまた違って、呼吸を使わなかったり、誰にでも音を出すことは簡単な楽器なんですけれど、自分の身体が楽器というのは、僕にとってすごく怖いことなんですよ。
山本耕平:(笑)
横田誓哉:自分のメンテナンスって、ドラムって最悪、今のこの状況は置いておいて、熱があったりお腹を痛めていても、演奏はできるんですよ。喉痛くても。
山本耕平:お腹痛い時は無理じゃない?(笑)テンポ早くなっちゃいそう(笑)
横田誓哉:万全じゃなくても演奏はかろうじて、っていう(笑)もうそこに至る本番に向けての体調の整え方、本番に限らずリハーサルとかもクラシックだと1年前、半年前からずっと稽古をすることもあると思うのですが、それが僕は一番すごいと思いますね。技術とかはもちろんなんですけど、同じミュージシャンという立場においてはそこが一番怖ろしいところというか。
山本耕平:僕らの一番の特徴って楽器が体の中に付いていて、日常生活でも使う、何かを買うのでも「こんにちは、これください」って使うものを楽器にしているから、一番極端な形であるけれども。
でもあれじゃない?結局、僕が同じスネアを持って、僕がこうやって叩いても同じ音が出るわけじゃなくて、どのタイミングでどういう風に使って、体の奥の方の感覚を使ってっていうのはほぼ同じだと思うんだよね。
僕らも見えない体の奥の筋肉を感じて、整然と使って、自分を楽器として歌っているから。それって一緒だと思う。この前話したときに一緒な部分もあるねってことも言ってたんだけど。
じゃあ例えば、シンバルって何枚持っているんだっけ?
横田誓哉:まぁそれはもう、数えたくないですね(笑)
山本耕平:(笑)
これとこれも違って、それとこれも違って、こんなに買わなきゃいけない人生、めっちゃ大変だなって思うもん(笑)こだわるときりがないっていうか。
横田誓哉:もちろん僕もミュージシャンとして、誰でも音が出せると言いながらも、こうやったら良い音が出るんだっていう感覚的な部分と、メソッド的にこう動かせばいいっていう技術的な部分もあったりするんですけども。
声で違いを生み出せるのはすごい。歌手の方、ポップスでも思いますし、特に耕平さんとは会話していても思うんですよね。発声が全然違ったりですとか。空間の響き方、反響の仕方が全然違うというか。
山本耕平:いやでもね、うるさくならない様に、自分の中のマイクを切っている(笑)切っていてこれだから、段々興奮してくるとつながっちゃうのよ、ドンと大きくなっちゃって皆こっち振り向いちゃうから。
何十年ぶりくらいに合う友達とかに「え、そんな声だったっけ」と言われることもあるね。もうこれはどうしようもない。
共演者や打ち上げについて
鳥取県西部合同合唱団との共演
横田誓哉:今回は特に合唱部の皆さんと共演ということで、特にそういったところからすごく影響を受けると思うんですよ。実際僕も高校時代、耕平さんが教育実習で東高に来られたんですね。その時僕は1年生で、耕平さんは声楽家としてもすごい方になられるということが噂になっている中での教育実習でした。
僕は打楽器、ドラムという立場ながらすごい影響を受けました。今回の北高の吹奏楽部さんもそうだと思うんですけど。良い経験になるだろうなとすごく思っています。僕も高校生ながら、大人の人たちと共演させていただく機会があって、そういう経験って、大事だったなって振り返ると思うんですよね。そういうことをしてくださった方たちに感謝の思いもあります。
今回そういう機会を作れたというのは素晴らしいなと思っていて。
山本耕平:僕もOB楽団が高校の頃からずっと側にあって、一緒に出させてもらっていて、僕が上京してからも戻ってきて一緒にコンクール出てとか。まあ大人の人たちと一緒にやることで、もちろん経験になるし上手くて色んな影響を受けるというのもあるし、大人と音楽で対等にやるということで、大人ってそこまで大人じゃないなって思わせてくれる体験というか(笑)
横田誓哉:はい(笑)
山本耕平:一緒に打ち上げに行くとそこでも対等にコンサートの喜びを分かち合えるというか。日常生活や練習時間では見せないようなリラックスした部分を見せてもらって、その体験で音楽が大好きになった部分もあります。同じものを提供すれば同じものを思ってもらえるとは限らないけれど。そういう場を作りたいなという気持ちは自分の中にあるし。
オペラも運営がすごく難しいんだけど。というのは、演劇とコンサートを同時にやるということは、規模が単純に倍になるんですよ。運営しなければならない内容も、小道具から大道具から照明から舞台美術から、すごいことになるんですね。毎回250人規模になるんです。それに児童合唱や市民合唱も入れると300人なんか平気でいく中で、コロナでなくても運営が難しいんですよ。
誰かが人柱に必死でならないといけないんだけども、自分がソリストとして突き進んでいくという道となかなか併行できない部分もあって、そこがもどかしく思っています。そんな中でソリストとしてもやりつつ、チームとしても動きつつ、地元でこういう活動をしていらっしゃるというのは、僕の中でもある意味やってくれる人がここに現れたっていう尊敬があります。いつか自分も、自分のジャンルでやりたいなと思うことでもあるね。
だから今回のコラボレーションにはすごく意義を感じています。
横田誓哉:嬉しいなと思っていて。耕平さんも出演に関して僕も全力を出していきたいなと。2回目の藤原(official髭団dism)の出演から、耕平さんのご出演が決まりました。僕一人だとわっしょい米子祭りで米子の音楽文化を元気にしたいというのは、難しいなと思っています。耕平さんの力をいただいて今回も良いわっしょい米子祭りにできたらなと思っています。
その後には、今回はすぐに打ち上げはできないかもしれないですけど、良い打ち上げがいつかできるようなコンサートにしたいですね。
山本耕平:うんうん。
いつか打ち上げをしたい
横田誓哉:さっき打ち上げの方たちの話もあったのですが、僕の体感ですがジャズとかポップスとかの方より、クラシックの人の方が激しいですよね。
山本耕平:おっ、本当?
横田誓哉:本当にそう思います。すごく激しいなと毎回思いますね。学生時代に戻ったような打ち上げをされるのはクラシックの方みたいなイメージがありますね。
山本耕平:お~そうなのか。じゃあ逆にそっちのジャンルの人たちはどういう打ち上げなの?普通?
横田誓哉:結構普通に飲み会をしているみたいな。
山本耕平:そうね、一大イベントになっちゃうかもしれないね。
横田誓哉:今回はコロナが開けないとなかなか打ち上げはできないかなとか思いますけど。
山本耕平:声楽家になるとあんまり酷使できないから少しセーブされるようになるんだけど、プロの人たちもクラシックの管楽器の人たちなんかは凄まじい飲み方してるから、ちょっと落ち着いてくれるといいんですけど(笑)
横田誓哉:そういうことができるようなコンサートになればいいですね。
山本耕平:ぜひしたいですね。コップ一杯でも、学生と大人が隔てずに、乾杯ってできるのがめちゃくちゃ尊いことだと思うので、ぜひそれを精神的にも実現したいなと思いますね。
この記事の出演者
横田 誓哉(BLACK BOTTOM BRASS BAND)
1991.10.30生まれ 鳥取県米子市出身。
幼い頃から父の影響でドラムを始め、10歳で地元のバンドを掛け持ちしながらライブ出演を重ねる。
上京後、BLACK BOTTOM BRASS BANDにスネアドラマーとして参加。後に正式メンバー加入。
全国各地にてホール公演や海外のフェス出演の他、綾戸智恵氏など著名なミュージシャンとの共演を行なっている。
個人でもDEPAPEPE、平井堅、西野カナ、ゆず、Official髭男dism(順不同、敬称略)などのレコーディングやテレビ、ライブ出演、アレンジを行う。これまでに江川ゲンタ氏、東原力哉氏に師事。
2014年より米子市ふるさと大使を務める。
2018年から鳥取県米子市にて「わっしょい米子祭り」を実行委員会の代表として毎年企画、開催している。
山本 耕平
東京学芸大学教育学部音楽科クラリネット専修を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。同大学大学院首席修了。イタリアにて研鑽を積む。イタリア声楽コンコルソ・ミラノ大賞部門第1位、日伊声楽コンコルソ第1位及び歌曲賞等多数受賞。
オペラはこれまでに、二期会『ドン・カルロ』タイトルロール、『リゴレット』マントヴァ公爵、『後宮からの逃走』ベルモンテ、『金閣寺』柏木、『天国と地獄』オルフェ等次々と大役を演じる。今年8月の二期会『ルル』においては、表現豊かな演唱で高い評価を得た。
コンサートでも「第九」をはじめ、「NHKニューイヤーオペラコンサート」、「ららら♪クラシック」、「東急ジルベスターコンサート」等メディアへの出演も多い。今後は、21年11月日生劇場『カプレーティとモンテッキ』テバルドに出演予定。
「Mi manchi」「君なんか もう」など2枚のソロアルバムをリリース。CHANEL Pygmalion Days ARTISTS。
鳥取県米子市出身。米子市首都圏観光大使。とっとりふるさと大使。二期会会員
山本耕平オフィシャルwebサイト